■ストーリーよりも場面演出へのこだわり

 今回の「幼い悪魔」は、オーソドックスに構成し、演出でどこまで変化をつけられるかを試すつもりでスタートした。
 脚本はサガンの「悲しみよこんにちは」を、日本に舞台を置き換え、登場人物の設定も大幅にアレンジ。ちょっとだけ、レディースコミックのような展開も意識した。
 結果的にそれは、前回の「まほろばの島」のようなファンタジー色の濃い作品から、一気に人間関係がドロドロした昼メロのような一般作の様相へと転じた。

 次に大きく変わったのは、スライドの演出方法である。
 前回の「まほろばの島」では、アニメーションのセル画タッチによるキャラクターの立ち絵を作成し、それを写真の背景に重ね合わせて表示するというアドベンチャーゲームに類似した手法が取られた。
 しかしそれは、大きなスクリーンにゲーム画面と同じものが、ただ表示されただけで、そこにはインパクトも新鮮な感動も与えられなかった。
 それだけでなく、長時間キャラの立ち絵のスライドを見ていると、辛くなるという副作用まで招いた。それはキャラクターという、はっきりと形がある記号を提示しておきながら、声優の声の芝居とスライドがシンクロしていないところが多く散見し、ビジュアルとしてズレている違和感をもたらしてしまうからだった。
 この辺は、ひとりのキャラクターにつき、一枚の立ち絵のみで押し切ろうとすることの限界が如実に出ていたと思われる。
 せめて、立ち絵のバリエーションを増やすべきだった。
 例えばバストアップにしたときの表情の違い、それを正面から見たものや、横から見たものなど、複数を用意し、また立ち絵も芝居の流れに合わせて、全身のポーズが変化するバリエーションをいくつも用意するべきだった。中途半端にゲームの感覚だけを真似ると、えらい目に遭うのだ。

 そんな反省点から、この「幼い悪魔」ではキャラクターの「立ち絵」使用を一切やめ、背景のみの画像にした。アンケートでの意見もあったが、むしろ役者たちの芝居を前面に出す方向で、仕切り直すことにした。
 このため、出演する役者には、以下のような指示を出すことになる。

【演技上の注意点】

・台本に視線を落とさないよう、できるだけ顔を上にあげること。
・声の芝居だけでなく、表情の演技もシンクロさせること。
・可能であれば片手で、手の動きの芝居もミックスさせること。

 といった、いくつかの注文を出していった。
 役者たちはそれを受けて、できるだけ台本を上に持ち上げるようにし、顔が俯かないように癖をつける練習を行ってくれた。
 その甲斐あって、役者たちは公演のステージでの声の芝居に加えて、動きの芝居の小技をいろいろミックスさせてくれた。




 特に感心したのは、珠代役の藤咲かおりさんが上手でスタンバイしているときに、自分の出番がきた瞬間から、アドリブで声の芝居をスタートさせてくれたことだった。マイクの前に立つよりも先に、大きな声でアドリブの芝居から入っていく。ちょっとしたことだが、こうした小技があるおかげでステージが平面的にならず、立体的になってくる。

 また晴彦役の吉良克哉も、ダンスレッスンのシーンでは、あえて台本を持たずにステージに登場し、マイクよりもさらに舞台前に出てダンスのポーズをつけながら、セリフを喋るというニクイ小技を見せてくれた。



 いろんな小技の数々を、役者それぞれが考えてくれたおかげで、スライドが背景のみの静止画であっても、逆に芝居として役者たちが引き立つ方向に昇華できた。
 また衣装も、登場キャラクターのイメージに近い服装を、それぞれに用意してもらうことにした。こうすることによって役者の演技に対するモチベーションは上がった。衣装という記号がプラスされ、さらに役に入りやすくなったのである。

 ある意味、最も基本的だが、朗読劇の正しい姿がそこにあったのかもしれない。


  【動画】リハーサル中のムービー(小春と晴彦の会話のみ) 

       (ステージ映像のあとには、EDテーマ「モノポリー」のイメージPVが入っています)


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■主演:吉田裕貴

 キャスティングを行う過程の中で、この公演が「イケる!」という手応えを感じたのは、主演の小春を演じた吉田裕貴と出会ったときだった。
 彼女はオーディション受ける大勢の役者たちの中で、ちょこんと末席に座っているような、おとなしくて目立たない存在だった。しかし自分の番が回ってくると、とたんに演じる声に輝きが伴った。
 あとで聞くと、彼女は劇団のホームページに掲載された台本を全部読み込んだ上で、オーディションに挑んだという。こんなところにもHPでの台本掲載にメリットは出た。

 時間がなかったせいでオーディション当日は、ほとんどぶっつけ本番になっていたが、彼女は前日までに劇団サイトで台本を全文読んでから、小春役を演じたのだ。ゆえに、物語への理解度が違った。きちんと役作りまでが出来ていた。
 オーディションというと、たまに自己流で演技をしてしまう役者たちがいる。役と自分との間に距離を作って、その違いを出そうとしてくる役者は、なかなかいない。その点、吉田裕貴はカンのよさと、台本を読み解く読解力に優れていた。本人は小説やコミックもたくさん読破していたので、表現をどう調節すればメリハリが出るかなどの、演技の構成も自分で立てることができた。

 しかしその反面、引っ込み思案で人づきあいが悪く、しかも稽古の初日から遅刻してくるという、大胆不敵なマイペースぶりであった。悪気はないが、どうも周囲に誤解されやすいタイプだったらしい。自分も最初は、手強そうな相手がきたなと思ったものである。
 チームワークを重んじる演劇活動では、ひとりだけ和を乱す行動というのは、ほとんど許されていない。彼女が才能もありながら業界でのチャンスに恵まれなかったのも、こうした「あくまでも自分は自分流でやる」という信念を、硬派に貫き通しすぎたせいなのかもしれない。
 ならば、この劇団の中においては、遅刻などの細かいワガママなどは「もう許そう」と考えていた。かく言う自分も、規律や規則などを守るのが大の苦手で、そのために才能を発揮するチャンスが与えられないというのは、実にもったいない話だと思うからだ。

 彼女がやりやすい環境にして、自然に力を発揮してくれればいい。そう思っていた。というのも、彼女はやるときはやるタイプだという、こちらで勝手な印象があったからだ。そして相手のことを一度信用したら、決して裏切らないタイプだろうとも信じていた。肝心なところで、そういう安心感を与えてくれる不思議な子だったのは事実である。
 その甲斐あって、吉田裕貴は小春を見事に演じ切った。一番長ゼリフが多い中で、舞台中はセリフを一度も噛むことなく、主役としての存在感を頼もしいほどに発揮してくれた。

 また、綾依夏子と共にエンディングテーマ『モノポリー』を歌い、劇のラストも盛り上げてくれた。そのときに、彼女の歌のうまさにも驚いたものだ。外見はおとなしくて控えめだが、内に秘めた情熱は真っ赤な炎のごとく、熱く燃えさかっているかのようだった。

 公演を観劇したお客さんも、吉田裕貴の演技に驚嘆した方は多く、その賞賛の声がアンケート容姿に多数綴られる結果になった。

 この公演の、まさに「要」を、吉田裕貴は背負ってくれたと、言えるだろう。

■イチからの再出発

 独自の道を歩もうと、洋ちゃん(山本洋介君)という若い助手の協力を得て、自分は一から出直すことになった。
 この「一から出直す」という行為は、大変お気に入りのようで、今までに何度も繰り返している。そのたびに、自分はつくづく開拓することが好きなタイプなのだと思ってしまう。
 何もない状態から、形を作っていく――そのプロセスが、たまらなく好きなのだ。

 ところで出発点のボイスマジックだが、共同主宰者だった人との約束で、2005年以内には「両方とも団体名を改名して、ボイスマジックの名前を凍結させる」という約束だったが、その約束はいまだに守られていない。今も堂々とボイスマジックと名乗っている。どういうつもりなんだろう?  約束破りの名人なんだろうか?

 閑話休題。
 さて、新しく出直すにあたって、まずは最初に大胆な作戦を考えた。それはホームページ上で台本を公開し、出演者を募るという作戦である。
 ホームページに台本を全文公開することは、それは観客にネタバレするという危険性もあったが、それはアクセスした人が自由に「台本を読むか、読まないか」を決めればいいことだと、選択肢を委ねる考え方もあり得たので、大胆不敵ながら、そのプランを実行に移した。

 この利点は、台本をいちいち印刷して配らなくて済むという、製作費の節約につながった。
 またお金の面だけでなく、郵送したりする時間のロスを防ぐ利点もあった。
 例えば、アニメの仕事でアフレコ現場に出向き、朗読劇に興味を持っている声優さんに声をかけるとき、台本は「ホームページを見て、気に入れば出演して欲しい」と言って、連絡先を明記した名刺を渡しておけばいい。
 このようなスピーディな段取りを採用したことで、キャスティングは前回の第一回目から半分ぐらいの時間で収めることができた。