
■シナリオ作成の裏話
原作の「夜勤病棟」は息の長いシリーズで、PCゲームからアニメ化もされ、それもまたシリーズ化されるという、ロングランの大ヒット作である。その原動力は七瀬恋の可憐な魅力と、そして彼女の慈愛の深さにある。
お腹に宿った子を守るためには、相手を殺すことさえ厭わない母としての母性愛への目覚めとその強さは、多くのユーザーを魅了した。
そうした七瀬恋を物語る歴史の中で、今回は、彼女が看護学校に通う時代にスポットを当てた外伝のストーリー〜七瀬恋が看護学校時代に、戸薩好市という男と出会っていたら〜という、if(もしも)が設定された原作を下敷きに、組み立てられることとなった。
いち早く「ソフト・オン・デマンド」のアニメ『七瀬恋』の広告には、舞台化の告知が発表され、インターネット上では、ちょっとした騒ぎになった。
「あの夜勤病棟を、どのようにして《一般作》にするのか?」
注目の的はそこになった。
ソフト路線の18禁ゲームならばわからなくもないが、この「夜勤病棟」シリーズは、ハード路線なのである。一般作になるからと言ってソフト路線に転向してしまったら、それこそ原作のイメージから遠ざかったものになりかねない。
たとえ一般作になったとしても、原作のイメージに隣接した雰囲気を持った、力強いインパクトを放つべきだ――。
そう考えたボイスウィザードでは、七瀬恋の舞台化にあたり、ひとつの方向性を決めた。それは、原作の持つサスペンス性を舞台版でも生かすことである。
もともとストーリー性の高い原作は、いわゆるエッチシーンがなくとも成立するだけのドラマテイストを持っていた。それと同じようにサスペンスを盛り上げるだけの事件性を特化させることで、舞台版もハードな18禁と肩を並べられるだけのインパクトを持ち得るのではないだろうかと考えていたのだ。
ハードな危険性――シナリオの作成にあたっては、それを具体的にどうするかが、まず最初のポイントであった。もちろんインパクトのある事件といっても、普通の殺人事件では方向性が違う。推理小説のような方向性ではないことが明白だからだ。
もっと欲望の匂いが強くて、淫靡な香りまで漂ってくるような、危険なイメージのする事件がいい。そうしないと舞台版は、原作「夜勤病棟」シリーズの世界観に近づけることができない。

重要だったのは、事件そのものが持つ危なさだった。そこでボイスウィザードは、大胆な事件設定を用意することにした。それは、世間を何度となく騒がせている犯罪――誘拐・拉致・監禁であった。それを真正面に据えて、テーマ的に向き合おうというわけである。
当然ながら、実際に起こった不幸な事件を、好奇の目で取り上げたり、また逆に不幸な結末にして悲しさを煽ったり、犯罪はいけないというお説教じみたテーマを打ち出すようなラストに落とし込むつもりもなかった。もっと極めてまれで、レアなケースに持っていきたかった。
つまり、犯罪を憎んで人を憎まず――。七瀬恋に通じる「慈愛の精神」を下敷きにしたかったのである。そうすることによって、プロットは誘拐した女性と結ばれてしまうという、とんでもない方向に発展していってしまった。
――そんなことがありえるのか?
そういう疑問を抱くのが、普通の感覚であろう。しかし、世の中というものは実に不思議なものである。いや、事実は小説よりも奇なり、というべきか。実際に、誘拐監禁した女の子と愛し合うことに成功した奇妙な事例があるのだ。
まだ時代が昭和だった頃、東京の下町で帰宅途中の女子高生を誘拐し、自宅のアパートに監禁した男がいた。被害者である女子高生は、行方不明となってから半年後に、無事に保護される。同時に犯人の男も、誘拐容疑で逮捕された。
しかしその男は、自分は誘拐しても監禁はしておらず、彼女とは同棲関係にあったと供述した。事実、彼女が近所で買い物をしている姿が何度か目撃されており、さらに彼女の自宅と男のアパートは二キロ程度しか離れていなかった。
その気になれば、歩いて帰れる距離である。なぜ彼女は逃げ出さなかったのか?
一体彼女に、何が起きたのか?
無事に保護されたときの被害者は、泣き出して「家に帰りたくない」と何度も言い、犯人のことばかり心配していたという。
彼女は、何かの暗示や催眠にかけられていたのか?
それとも家庭に問題があって、最初から家には帰りたくなかったのか?(彼女は家出を望んでいたわけではなかったらしい)
あるひとつの可能性を除いては、原因をどうにも理解しにくい……。
当時、いくつかの週刊誌は犯人の男を「淫獣」と呼び、被害者の女子高生は哀れだった、淫獣の奴隷であったのだと、激しく批判の記事を書き立てた。
だが、事実関係では、女子高生は監禁を解かれたあとも家族のもとに帰ることをせず、約半年間、自分の意志で男と一緒に暮らしたのである。それを証明するかのようにアパートの住人たちは、犯人の男から「彼女は親戚の娘だ」と、紹介されていたという。それもいたって日常的で、ごく普通に……。
はたして、誘拐されたあとの女子高生の心理に、どのような変化が起きたのか――。
(幻冬舎アウトロー文庫ノンフィクション「女子高生誘拐飼育事件(著:松田美智子)」より引用)
これは、昭和の時代に起きた事件である。昨今の冷酷無情な誘拐殺人事件とは、異質なように感じられるだろう。豊かになることが目標だった時代の男の犯罪と、豊かであることが当然の時代に育った世代の事件には、大きな隔たりがあるのかもしれない。
昭和の時代の犯人は、被害者の女子高生とコミュニケーションを取っていくことそのものが目標となり、現代の、特に若者が起こす事件は、自己中で相手をモノのように扱い、支配しきれなくなったら処分するという、自己満足でしかない有り様だ。
この差を、まさに自分は描きたいと思った。
犯罪犯す人間にも血が通っていて欲しい、血も涙もない冷酷な殺人を否定したい――。作品中で、もっとも訴えたいメッセージ性はそこにあった。

作品の下敷きとなるテーマが決まったら、次にシナリオの作業は肉付けのための取材、および資料漁りの段階に入った。
類似した事件(こちらはフィクション)の映画「コレクター」(ウイリアム・ワイラー監督)も鑑賞し、原作となったジョン・ファウルズの著作本も、ネットショップで購入して目を通した。
原作の「コレクター」は、誘拐した犯人の男と被害者の女子大生とのやりとりが、かなりの分量で続く。男は「君と仲良くなるためにはこうするしかなかった」と言い、女子大生は「やり方が間違っている」と、犯人の彼を批判する。
男は終始一貫して紳士に振る舞い、家の外に出ること以外は、彼女の要求を受け入れていこうとする。そのやりとりの中で、彼らは自分の価値観をぶつけ合い、議論を重ねていく。
途中から犯罪ドラマというよりも、コミュニケーションが苦手な男のドラマの方向に色合いを強めていく……。彼の苦悩と精神の歪みが、切々と語られていく。そうした非常に文学性の高い作品になっていく。
この奇妙な関係性を、朗読劇で表現できるだろうか。題材が決まったあとのシナリオ作成では、一般には理解しがたい状況の上に成り立った「奇妙な関係性」を、うまく伝えることが最大の難関となった。




長時間、犯人と共に過ごすことで、被害者が犯人に対して「友好的な感情」を持ってしまうという心理があるが、物語の入り方としては観客にそう解釈されてもいいと考えていた。犯人を好きになるという心理は、一般的にそうたやすく信じられるものではないからだ。
見返りを求めない無償の愛……。
それは、相手にどれだけ必要とされているかで変わってくる。人を愛する行為は、意外なところに転がっているものだという、テーマ性を描くほうが今回は重要なのだ。
先程の昭和時代の事件の犯人が、被害者の女子高生から愛情を得ることができたのは、犯人の男が彼女との生活を通じて、人とコミュニケーションを取る術を学習していったからであろう。
会社でもあまりうだつの上がらなかった彼は、少女に信頼されることで自信をつけ、やがて生まれ変わったように仕事に対しても意欲的に取り組むようになる。そればかりか、同僚のOLからその姿に好感さえ持たれてしまうようになる。さらにそのOLからは、告白までもされてしまうようになる。また被害者の少女も男の変化を知って、さらに心を開くようになっていく。つまり、男に嫉妬したりする……。
こうなると、出会ったキッカケだけが不幸そのもので、もしこれが、誘拐などという事件でなければ、年の差のあるカップルとして成立していたのではないだろうかとさえ思えてくる。
そんな世間の常識をひっくり返す危なさが、モノカキとしての興味をそそった。




ペシミスティックな絶望感から二人で生きていく希望への変遷として、七瀬恋の慈愛の精神は、まさにうってつけだと思われた。いや、七瀬恋でなければ「男を救済する」ことなど、不可能だろうと思えた。
前半はピカレスクロマンとして描き、やがて社会への批判と不安が、七瀬恋の慈愛によって「希望」へと導かれていく……。
おぼろげながら、ストーリーの骨格は浮かび上がってきた。
秋公演の「融合する瞳」が終わってから、すぐにこうしたシナリオの構想に入り、約一週間かけて第一稿を完成させた。
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